研究者としての履歴

新人(研修)のときの課題3

まるで探偵のように調べていきました。
・担当者からのヒアリング
  →原因はよくわからないが、時々黒い煙が出る
  →ある特定の材料を吸着したときに発生するらしい。(確かではない)
・黒い煙の成分を分析
  →炭素が主でした
・煙の成分中の粒径分析
  →粒度の小さい成分でした
そして、いよいよ怪しいと言われている材料をたっぷり吸着した活性炭を処理してみました

結果として、全く黒い煙がでませんでした。???????

担当者の証言は正しくないという事がわかりました。

それでは、何が原因で黒い煙が出るのでしょうか?
黒い煙(活性炭の成分だと思われる)が出る理由を活性炭処理装置の原理から考える事にしました。
活性炭に吸着した有機材料の成分を燃やすために、賦活という工程があります。この工程で有機物を燃やして、活性炭の一部も燃やしながら活性炭を再生します。
この工程が怪しいと考えました。この工程では燃料と空気の比をコントロールする事が出来ます。いつもは決まった値になるように、装置にメモリが打ってあるのですが、わざといろいろ変えて実験をしてみました。

決局、空気の量を絞ると、活性炭の微粉成分が燃えきらずに、煙突から煙として出てきているという事がわかりました。good どうやら現場の一部の方々は、空気の量を増やすと活性炭が燃えてしまうので再生される活性炭の量が減ってしまうと考えて空気の量を減らしたようでした。

研修中の数ヶ月だったのですが、見事に課題を解決できて小さな成功体験になりました。

このとき学んだ事は、
・人の言う事は100%信じない。自分で納得しながら考える。
・事実の積み重ねで答えを見つける
・原理原則から考える

ということです。この時の経験は今でも役に立っています。


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新人(研修)のときの課題(経歴2)

入社してからの1年間は2交代と3交代での工場研修でした。
3交代の時は冬の化学プラントでの仕事で、主に廃液の計測をやっていました。それと、明け方4時ぐらいになると風呂の掃除をして熱いお湯を入れるというのが仕事でした。博士課程を出た....、とうプライドが傷つきました(*^-^)。さらに、夜勤の時は眠いので、電気室(冬の外でも少しは暖かい)で、段ボールに包まってコッソリ寝ていました。今思えば、経験の点では良かったと思います。

さて、化学工場での研修時に一つ課題を与えられました。

化学工場では有機溶剤を合成しています。そのときに出る不純物を活性炭に吸着させて不純物を吸着させ、その活性炭を燃焼塔で有機成分だけを燃やして、活性炭を再生していました(賦活)。その再生のプラントで、たまに活性炭を含む黒い煙が出て問題だとのことでした。「特に、ある特定の原料を活性炭に吸着したときに出るようだ。」との証言があり、明確な原因をつかんで対策を考えて欲しいとの事でした。
これまでに、何年間もこの問題があり、困っているが解決しないとのことでした。

無機材料/半導体プロセスが専門なので、困ったと思ったのですが、一つずつ事実を調べていく事にしました。


つづく

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就職氷河期のとき~就職

自分の研究者としての成長の過程や当時の考えを、たまにこのカテゴリーで書こうと思います。(ただ単に、ブログに書くネタがないという話も・・・・。coldsweats01
あまり、面白くないので個人的なメモということでご了承を。

私が博士課程を修了したのは、バブルが崩壊したあとの最初の就職氷河期でした。大学に残る道や国研に行く可能性もなかったわけではないのですが、どういうわけか自分は民間企業の方が向いていると勝手に思い込んでいたので、就職活動を博士課程3年の夏頃から始めました。

今思えば、もう少し早く動いていればよかったと思います。しかしながら、学部、大学院のときはバブル絶頂でしたので、就職氷河期とうのは全く想像できませんでした。認識が甘かったですね。

また、当時は就職協定というのがあって、正式には7月以降からしか動けなかったのです。(バカ?)正直な就職担当の教授のおかげで、私の通う大学では4年生も、大学院生も、博士も8月頃から動き始めていました。

複数の企業に履歴書を送ったのですが、
「・・・・博士は募集していないです!」crying という回答が多かったように覚えています。
大学教授からは、地元の小さいベンチャーを進められましたが、私としては研究をやりたいので、研究費が比較的ある大きな企業に行きたかったのです。

地元にも研究所がある一部上場企業の研究所に履歴書を送ったところ、何とか採用が決まりました。5社目で受かりました。バブル当時はどこでも選び放題だったのですが、苦労したことに研究者としてショックを受けました。
結局正式に内定をいただいたのが、10月末でした。

実は内定をいただいた後に、別の企業の研究所(こちらの方は超大企業)からお誘いがありました。履歴を送った後に断られたのですが、学会等で私の名前を知っている部長さんが引っ張ってくれたようです。しかしながら、別の企業から内定を受けていたので、泣く泣く断りました・・・。
現在の、超就職氷河期を考えるとまだまだいい時代でした。


さて、春になって約30人の新卒者と共に東京本社での入社式を行いました。

その後、私を待っていたのは、1年間の3交代と2交代の工場研修でした。

「博士を出た俺が!?」というプライドからくる不満と、「研究者としての1年は長くて、無駄に過ごしたくない。」という思いで、かなり人事に文句を言ったような気がします。実際に、今でも、「研究者として1年間無駄に過ごしたと思っています」

そうはいっても、それなりに研修をこなしながら研究開発者、コンサルタントとしての能力を発揮していたように思います。

具体的は話は  つづく。

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